[2006年秋、話題の新刊]




今こそ三島由紀夫の真意を伝えたい……



       果し得ていない約束
     〜三島由紀夫が遺せしもの〜


       元「楯の会」副班長 井上豊夫・著


36年前の1970年11月25日。ノーベル文学賞の有力候補と目され、日本で最も名高い作家だった三島由紀夫氏が、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決するというショッキングな事件がありました。同志として「楯の会」に身を置き、三島氏らの決起を知った著者が、その時に感じたこと、いまなお抱く思いを、随所に三島氏の文章を引きながら静かに綴っています。



あとに続く者あるを信じて……

「楯の会はここに終り、解散したが、成長する諸君の未来に、この少数者の理想が少しでも結実してゆくことを信ぜずして、どうしてこのやうな行動がとれたであらうか? そこをよく考へてほしい。」(楯の会会員宛の遺書より、「まえがき」収載)
  現在、故郷・金沢で事業に成功している著者は、ある日、楯の会会員に宛てた三島氏の遺書を再読し、残された者としての「最低限の任務」を果たそうという思いに駆られて本書を書き始めました。厳しかった自衛隊での訓練、当時の楯の会の情勢認識なども含め、当事者でなければ語りえない貴重な証言となっています。




三島氏の素顔を伝えたい……

  三島氏の家族思いは人一倍で、別荘嫌いだった三島氏は毎年夏休みを家族と伊豆の「下田東急ホテル」で過ごしていました。下りのエレベーターを家族4人で待っていると、止まったエレベーターが混んでおり、三島氏一人が階段を降り、残る家族3人だけエレベーターに乗ったところ、先に乗っていた別の家族連れが「今の人、ゴリラみたいだったね」と言ったので大笑いしたという話を聞いたのは、三島氏にとっての最期の年でした。(本文より)
  人が羨むばかりの名声の中にいて、大人しくしていれば文壇での栄達は約束されていたにもかかわらず、三島氏は「行動」してやみませんでした。三島氏の“約束墨守”“知行合一”を旨とした清廉な生き方に身近に接していた著者は、その鮮烈に過ぎる最期から誤解もされ、何となく避けられる傾向さえある三島氏の素顔を、ありのままに伝えようと努めています。本書では、三島氏らとともに写った記念の写真も13点掲載しています。




世にも人にもさきがけた三島氏の先見性……

  イラクへの自衛隊派遣の背景に、日本の自発的意思より米国の強い要請があったことは明白ですが、三島氏が「檄文」で主張した「諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ」は、36年後の現在を見事に予言したものとなっています。(「あとがき」より)
  三島由紀夫氏と森田必勝氏が自決してから36年……。本書は、題名に取った三島氏論文『果し得ていない約束』に書かれているような「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国」に生きることに忸怩たる思いを抱きながらも、いまの若者に、36年前にあったことを正しく理解してもらいたいと願う著者の、積年の思いが結実した書です。ぜひご高覧をお願いいたします。





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